刑裁サイ太のゴ3ネタブログ

他称・ビジネス法務系スター弁護士によるニッチすぎる弁護士実務解説 TwitterID: @uwaaaa

「残業代バブル」って本当にあるの? 

はじめに

 サイ太です。お世話になります。
 さて,過日はコミックマーケット92にお越しくださいましてありがとうございました。
 無事に昼過ぎに完売という,前回の反動で印刷数を減らした弊害が大きく出た結果になりました。
 当日,ビッグサイトくんだりまでお越しくださった皆様には感謝とお詫び申し上げます。
 新刊の大嘘判例八百選[第8版]の書店委託も開始され,こちらも通販分は全部捌けたようです。重版*1の要望も出ているようなので検討中です。
 以上の罪滅ぼしということでもありませんが,大嘘判例八百選[第8版]に収録したコラムから,ブログ用にシングルカットしてみました。
 わりと真面目に書いた「『残業代バブル』って本当にあるの?」です。ではどうぞ。

(原文の)はじめに

 弁護士業界にも流行廃りがあるもの。
 平成16年頃から続く一連の過払い関係の最高裁判決により,弁護士業界は過払いバブルに沸いた。その狂騒ぶりは,本家バブル経済もかくやといった風情であった。
 そんな過払いバブルが弾けつつある中で弁護士登録をして,ほんとうま味を味わうことなく今日に至るのが当職である。
 当然,次なるバブルは何かというのが話題になるわけであるが,当職の登録の頃(平成22年頃)から「次は『残業代バブル』だ」と言われていた。しかし,実際に残業代バブルが来ているという実感はほとんどない。それどころか,「残業代バブルが来る!」というネットニュースの記事を頻繁に目にするような気がする。「残業代バブル」には実態があるのかないのか,はっきりしないのである。
 そこで,いつものように業務を放り出したサイ太が,残業代バブルについてさくっと調べてみたというわけ。

「残業代バブル」という言葉はいつ頃から使われ始めたか

 当職の記憶では,当職が登録した直後の平成22年頃には「残業代バブル」という言葉が出ていたような気がする。
 記憶,特に当職のそれほどアテにならないものはないので,お得意の検索を行い,調べてみた。
 グーグル検索で時期を限定して検索すると,タイムスタンプは古いものの,書かれている内容は最近のもの,というようなクソサイトばかりが引っ掛かるので泣く泣く断念した。
 次に調べたのが,我らがTwitterである。これで初期の使用例をみると,以下のツイートが引っ掛かった。


 ブログ「企業法務について」を書いておられる@kataxさんのツイートである。「残業代バブル」とは明言していないものの,ポスト過払いバブルとして,「残業代バブル」を捉えていることが明確である。先見の明を賞賛せざるを得ない。


 次に目についたのが,平成21(2009)年11月30日発売の週刊ダイヤモンドに関するツイートである。この号には,「過払い金と同じく大量処理が可能企業への「残業代請求」急増の恐怖 高井重憲●セントラル法律事務所弁護士」と題する寄稿が掲載されているようである。
 Twitter上では,この時期を境に,「残業代バブル」の話題がどんどん増えていくことになる。
 Twitterを見る限り,この平成21年11月30日発売の週刊ダイヤモンドの寄稿が嚆矢となって,「残業代バブル」が言われるようになったことになりそうである。
 その後,「残業代バブル」と言い続ける人が増えていて,定期的に「残業代バブルが来る!」という燃料が投下され続けている。直近では,平成28年10月10日付けの週刊SPA!で「弁護士による「残業代請求バブル」が始まった!」という記事が掲載されている。
 なお,「残業しまくって稼ぎまくって一時的に羽振りが良くなること」を「残業代バブル」と呼んでいる人たちも一定数いたことを付言しておく。

データで見ても増えてるの?

 そんなこんなで,「残業代バブルが来る!」と平成21年11月30日頃までには言われていたわけであるが,実際にその後,残業代バブルは来たのであろうか。
 「残業代バブル」の予感を感じさせた根拠の一つが労働審判である。平成18年から労働審判制度が施行された。労働審判制度は,失敗だらけの司法制度改革にあって,唯一の成功例であるなどと評されることもある制度で,非常に使い勝手のいい制度である。
 平成28年度版の弁護士白書は,この労働審判制度の開始以降の地裁における労働関係事件の新受件数の推移が掲載されている。
 図表を引用すると以下のとおりである(いずれも上記平成28年版の弁護士白書107頁より抜粋)。

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 まず,グラフを見ると,確かに労働事件の件数は増加していることが見て取れる。特に,平成20年以降は労働審判が通常訴訟を上回ってきており,その後も高止まりしつづけている。もっとも,これらの事件の全てが未払残業代に係るものではない。
 表では,労働審判の中でも,賃金,手当等を請求した事件の数の統計を取っている。これらは,残業代請求の件数と見なしてもよかろう。これによれば,平成23年から平成27年まで,それぞれ,1179件,1255件,1456件,1345件,1559件と推移しており,増加傾向にあることは間違いなさそうである。ただ,「バブル」というほどまでにはなっていないように思われる。

 当然,訴訟までに行かずに交渉段階で落ちている事案もこのほかに数多くあるであろうが,過払いバブルがそうであったように,全体の件数が増えればそれに比例して訴訟事案も大きく増えるはずである。
 労働審判がこの程度しか増えていないことをみると,実際の残業代バブル案件そのものの絶対数も,過払いバブルほどではないことが窺われる。そのように考えると,「残業代バブル」と言うほどではない状況ではないかと思われるところである。


 なにせ,以下のグラフのとおり,過払い事件最盛期には地裁の第一審だけに限定しても年間で14万件以上の事件が提訴されていたのである(出典は地方裁判所における民事第一審訴訟事件の概況及び実情)。

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 労働審判事件の件数とは比較にもならないであろう。

まとめ

 平成21年頃から「残業代バブルが来る」と言われ続けている。訴訟件数のデータを見ると,件数が高止まりしていることは確かであるが,労働審判制度が始まったことによるところが大きい。実態には見合わないレベルで「残業代バブルが来る」と言われ続けており,「残業代バブル」は来ていないのではないかと言わざるを得ない。
 「残業代バブル」について報じられるとまとめサイトでも大きく取り上げられ,弁護士を貶す意見も多い。このあたり,過払いバブルのあだ花のひとつであるとも言えようか。
 何度も何度も「残業代バブルが来る!」と報じられているが,そのたびにネットは大盛り上がりである。そう考えると,現在は「残業代バブル」なのではなく,「『残業代バブルが来る』バブル」とでもいうべき状況なのではないかと考える。
 ただ,日弁連が残業代計算ソフト「きょうとソフト」を公開するなど,本格的なバブルが巻き起こる予兆も感じられるものである。
 今度こそ,バブルの恩恵にあずかるべく,精進していきたい。

*1:重犯