はじめに
以前,「シャブ」の語源を考察しました。
keisaisaita.hatenablog.jp
それから7年が経過しました。この間,国会図書館デジタルコレクション(以下,デジコレといいます。)が利用可能となり,wikipedia情報も整理されるなどしたことから,全面的に改稿する形で改めて考察します。
これとは別に「ヒロポン」の語源も調べていたのでこれも統合します。
「シャブ」の初出について
英語版のwiktionaryでは,初出は1977(昭和52)年とされています*1。
典拠には名高い「日国」の簡略版である「国語大辞典 新装版」が引用されており,日本語版のwiktionaryでは言及されていない点を除けば出典としては申し分ないと思います。
しかし,もう少し早い初出が確認できます。
デジコレに,1973(昭和48)年の文献に,覚醒剤のことを「シャブ」と呼んでいるものがありました*2。

文脈としては,現在15歳の少年が覚せい剤取締法違反*3で逮捕されたところ,その少年から事情を聴き取った,その中に登場するというものです。聴き取りは昭和47年に行われているところ,過去のこととして中学2年生の頃のことを語っており,言及のある生まれた年から逆算すると,「その頃」とは昭和45年頃のことのようです。
つまり,昭和45年頃にはシャブという隠語を知らなかったが,昭和47年にはシャブという隠語をよく知っていたということになります。
このことから,昭和40年代の第2次乱用期に登場した隠語であったことが裏付けられます。なお,これ以前のものは,デジコレの範囲では発見できませんでした。
なお,昭和52年の医事新報の質疑応答集には,「シャブ」のことを「シャル」と聴き取ったと思われる新潟県内の医師からの質疑が掲載されています*4。隣県である群馬大学の教授が「シャブ」のことだろうとして回答しており,「シャブ」という語の拡散の経緯の参考になります。
シャブの語源について
前回は,「水に溶かしてシャブシャブする説」「削るからshave説」「使うとしゃぶい説」「骨までしゃぶる説」を取り上げ,「骨までしゃぶる説」が有力であると考察しました。
まず,前回参考にしたwikipediaから,語源に関する記載が削除されました。
2019年の前回の考察記事で出典が不明だと指摘したのですが,2021年頃にようやく典拠不明のタグが付されました。
そして,今年の3月についに語源に関する項目が全て削除されました*5。
特に,典拠の薄かった「shave説」「使うとしゃぶい説」はほぼ否定されたといってよいと思います。実際,デジコレを叩いても,これら2つの説は全くヒットしませんでした。
一方で,「水に溶かしてシャブシャブする説」については,1979(昭和54)年の史料に言及がありました*6*7。

もっとも,真っ先に出ているのは「骨までしゃぶる説」です。この「水に溶かしてシャブシャブする説」はおまけ程度に紹介されています*8。
他にも当時に近い年代の史料は,いずれも骨までしゃぶる説を支持しています*9*10。
当時の文献で,唯一,他の説を先に書いているものがありました。
「小林潔 著『覚せい剤を追え : 麻薬Gメン捜査ドキュメント』,日新報道,1977.4」です*11。
著者の小林潔氏は,現役の麻薬取締官だったようです。

ここでは,いずれも大阪の方言で,①小便の際の身震いの意の「シャブル」から,②なめるの意の「ネブル」からという2つの説が紹介されています。
指摘されている2つの説はいずれも聞いたことがない説です。しかし,著者はこれを否定して「骨までしゃぶる説」を採用しています。現役のマトリであった小林氏が「骨までしゃぶる説」を採用している点は,「骨までしゃぶる説」を相当程度補強するものと言えると思います。
なお,前回示した「骨までしゃぶる」という映画についても調べました。
明治30年代の洲崎新地。二流遊郭・松岡楼に売られたお絹は、その美しさからたちまち評判の遊女になり、廓での生活にも馴染んでいく。そんなある日、甚五郎という男が彼女の客になった。ところが彼はお絹に触れることもなく朝を迎えてしまう。
https://video.unext.jp/title/SID0060592
というストーリーのようで,時代背景的に覚醒剤と直接結びつけるのはやや早計でした。公開が昭和41年で,現在確認できるシャブの初出の昭和47年頃とずれてもいます。
ただ,前掲『小説club』にはこのような作品もあります*12。

こういうシャブ漬けにして売春させる手口が遊郭モチーフの映画と結びついて,後発的に「骨までしゃぶる」説を強化した可能性もあります。
いずれにせよ,語源なので確定させることは困難ではありますが,引き続き,「骨までしゃぶる説」が有力説ということでよいと思います。
海外でもシャブと呼ばれている点について
前回の記事に対して,タガログ語でもシャブと呼ばれているという指摘がありました。
タガログ語版のwiktionaryには,
Etymology
Unadapted borrowing from Japanese shabu, the Hepburn romaji of シャブ (shabu, “stimulant”) (cf. Indonesian sabu). From the 1980s.[1]
とあり,1993年に出版された" Tagalog Slang Dictionary"が引用されていました*13。
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時系列にも沿うので,タガログ語のシャブは,日本語からの借用語で間違いないと思います(韓国語にも言及がありますが,後述するとおり韓国ではヒロポンと呼ばれているので,シャブは日本語からの借用語でよいかと思います。)。
なお,
第2次世界大戦中に日本兵や特攻隊員、労働者も使用していたので、日本軍が進駐していた東アジアから東南アジアでも日本兵や労働者に使っていたメタンフェタミンのことをshabúと呼ばれるようになったらしいのです(おそらく)。
https://hirata.softsync.jp/2025/01/22-01/
という指摘もありますが,「シャブ」は前述の通り,初出が昭和40年代であり,昭和40年代以降の第2期濫用期から使われるようになった言葉です。戦時中の第1期濫用期には「ヒロポン」と呼ばれていたはずです。
実際,韓国語版のwikipediaによれば,日本の影響下にあった韓国でもヒロポンなどと呼ばれているようです*14。
覚醒剤の嗜好習慣はともかく,「シャブ」という語が戦時中に広まったとするのは疑問です。
ヒロポンの語源
ヒロポンの語源は,ギリシャ語のPhilo(好む)-Ponos(仕事)です。
根拠は『大日本製薬六十年史』です*15。
大日本製薬(現・住友ファーマ)は,戦時中,そして今もなお,「ヒロポン」の商標で覚醒剤を正規に販売している事業者です。

これに対して,俗説として「疲労がポンですわ!」*16という説が流布しています。しかし,客観的な根拠に乏しい説と言わざるを得ません。
もちろん,「疲労がポンですわ!」が先にあり,後付けでギリシャ語由来をこじつけたという可能性も否定はできませんが,それを積極的に裏付ける根拠はありません。
そればかりか,これを否定するような文献があります*17。

著者の山科樵作は永年,製薬業界にいた方のようで,相当程度信用して良いかと思います。
同様に,このような文献もあります*18。

これも日本医師会の機関誌のようであり,伝聞調の発言ではありますが,その内容は信用に足るものかと思います。
これらのソースからは,ヒロポンの命名者が三浦謹之助氏であることも分かりました。「近代医学の父」「大正天皇のお医者さん」などとも評される名医中の名医です。
なお,ヒロポンが違法薬物の総称のように言われていることについては大日本製薬は「甚だ迷惑」と評しています*19。
まとめ
これはあくまで現時点で片手間に調べた範囲での結論です。今後の研究に期待します。
*1:https://en.wiktionary.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%96
*2:大橋薫, 四方寿雄, 大藪寿一 編著『現代社会病理学』,川島書店,1973. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12106038/36
*3:当時の法令名は「覚せい剤」表記であることに注意。
*4:『質疑応答』第4集,日本医事新報社出版局,1977.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12644072/1/269
*5:削除した人が覚醒剤の項目をこれ以外にも書き換えまくった結果苦言を呈されて,その後,アク禁を食らっているのですが,それはまた別の機会に。
*6:桃園書房 [編]『小説club』32(5),桃園書房,1979-05. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1785246/
*7:ちなみに,この『小説club』という媒体ですが,この種の俗語やおげれつワードで検索すると必ず出てきてくれる,非常に貴重な史料です。
*8:執筆は直木賞作家の藤本義一氏。なお,引用の続きには「子どものようにはしゃぐ,癖になるから,オシャブリのシャブ」という説も紹介されていますが,こじつけと断じて良いと思います。
*9:前掲https://dl.ndl.go.jp/pid/12644072/1/269
*10:中田昌秀 著『笑解現代楽屋ことば』,湯川書房,1978.10. 国立国会図書館デジタルコレクション
*11:https://dl.ndl.go.jp/pid/12006705/1/13
*12:桃園書房 [編]『小説club』33(12),桃園書房,1980-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1784803/1/112
*13:https://web.archive.org/web/20221025045230/https://zorc.net/RDZorc/publications/071=Tagalog%20Slang%20Dictionary.pdf#
*14:https://ko.wikipedia.org/wiki/%EB%A9%94%EC%8A%A4%EC%95%94%ED%8E%98%ED%83%80%EB%AF%BC
*15:『大日本製薬六十年史』,大日本製薬六十年史編纂委員会,1957. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2426462
*16:清水健太郎氏の発言がミーム化したもの。Twitterで「なんでお嬢様言葉なの?」と指摘を受けたことがあります。
*17:山科樵作 著『三共茶ばなし : 正佐久随筆』,三共,1952. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2424400
*18:『日本医師会雑誌』32(8),日本医師会,1954-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3355541
*19:前掲『大日本製薬六十年史』https://dl.ndl.go.jp/pid/2426462/1/100






